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デジタルトリプレットとは何か

製造業DXの現場では、部署や部門単位でのデータ活用にとどまり、企業全体の意思決定や収益構造の最適化まで踏み込めていないケースも少なくありません。こうした背景の中で注目されているのが、東京大学大学院の梅田靖教授が提唱する概念※)「デジタルトリプレット」です。

デジタルトリプレットとは、製造現場(フィジカル)とデジタルデータ(サイバー)を連動させるデジタルツインに、「どうやって人が使いこなすか」という視点=「知的活動世界」を第三の要素として加えた枠組みを指します。

単なる業務効率化やIT導入の延長ではなく、現場で行われてきた判断や工夫といった「人の知」を軸に、組織全体の意思決定や価値創出のあり方を見直すための概念として注目されています。

なぜ日本企業にこそデジタルトリプレットが必要なのか

デジタルトリプレットが日本の製造業に有効な理由を理解するには、「縦軸」と「横軸」という二つの視点が重要です。
横軸とは、開発から製造、営業、サービスまでの部門を横断するビジネスプロセス全体を顧客価値基準で管理する能力を指します。欧米企業はこの横軸強化に先行して取り組んできました。顧客・設計・生産をデータで繋ぎフィードバックループを回す仕組みをトップダウンとITシステムで実現し、高い業務効率と競争力を確立してきたのです。しかしその反面、横軸強化のアプローチは標準化・画一化になりがちであり、個社独自の競争力を生み出しにくいという限界も明らかになってきました。現在では、横軸を強化してきた欧米企業もまた、縦軸の強化にシフトしはじめています。

縦軸とは、各部門・各工程における専門性や職能の深さを指します。製造現場で長年かけて蓄積された経験知や現場の工夫がその典型であり、一朝一夕には獲得できないものです。これが欧米企業にとっての課題となっています。

一方、日本企業には縦軸の難易度の高い領域に豊かな暗黙知が眠っています。横軸の強化が進んでいることを前提としつつ、その次のステージである「縦軸の知見が生み出す高い品質やサービス領域のアドバンテージ」こそが、日本製造業の差別化の核心です。

デジタルトリプレットとは、この縦軸の暗黙知を再利用可能な形で維持・発展させるための考え方です。横軸の標準化が「自社の競争力を逆に弱めてしまう」と危惧してDXに抵抗感を持つ人は少なくありません。しかしデジタルトリプレットは、横軸による効率化と縦軸の独自性は両立できるという視点を提供します。この考え方が、DX推進への組織的な合意形成を後押しする力を持っています。

経済産業省が提唱する産業データ戦略

デジタルトリプレットの考え方は、経済産業省が推進する産業データ戦略とも深く関係しています。産業データ戦略では、企業内部のデータ活用にとどまらず、企業間・産業間でのデータ連携を前提とした新しい競争力の構築が提唱されています。

従来のIT導入は、主に企業内部の業務効率化を目的としていました。しかし製造業を取り巻く競争環境が激しくなる中で、企業単体の最適化だけでは競争優位を維持することが難しくなっています。そこで重要になるのが、サプライチェーン全体を横断したデータ活用です。

こうしたデータ活用の高度化に向けて、現場・データ・人の判断を統合的に扱う考え方が重要視されています。

この3つが連動することで、デジタルにより、人の知を競争力に変えるフィードバックループが回り製造業DXをより実践的に推進することが可能になります。

ヒューマン空間(知的活動世界)

そしてデジタルトリプレットの特徴となるのが「人の知的活動世界」です。これは、現場の熟練者や生産技術者が持つ経験やノウハウ、判断の知識など、人が持つ知見の領域を指します。

従来は個人の経験に依存していた暗黙知を形式知として整理し、データと結び付けて活用することで、組織全体の知的資産として蓄積できるようになります。

梅田教授が特に重視するのが、熟練者と一般担当者の業務に生じる「差分」への着目です。梅田教授のアドバイスにより「差分」に注目して業務を分析したところ、これまで言語化できなかった知の抽出が初めて可能になったと語る実務担当者も少なくありません。同じ業務でも人によってやり方が異なる理由とその傾向を可視化・分析することが、デジタルトリプレット実装の核心となります。この差分は標準化の阻害要因ではなく、日本の製造現場が長年かけて蓄積してきた付加価値の源泉です。その差分を形式知として取り出し、組織全体で活用できる仕組みを構築することこそが、デジタルトリプレットの実装においてもっとも重要なステップです。

具体的には、①繰り返し定型化できるものは「自動化」、②条件分岐があるものは「ロジック化」、③定型化が困難なものは「協創領域として磨くか仕組みを変える」という3つの方向性で整理することが、デジタルトリプレット実装の出発点となります。

サイバー空間(データ基盤)

サイバー空間は、現場から取得したデータを蓄積・分析するデータ基盤です。生産実績、設備状態、品質データなどを統合的に管理し、シミュレーションや予測分析を行うことで、生産活動の高度化を支えます。

フィジカル空間(現実の製造・物流活動)

フィジカル空間とは、工場設備や製品、物流、作業工程など実際の製造現場を指します。IoTセンサーや各種システムによって設備稼働や品質情報などのデータが取得され、現場の状態をデジタルで把握できるようになります。

デジタルトリプレットとデジタルツインの違いとは?

デジタルトリプレットを理解するうえでは、デジタルツインとの違いを整理しておく必要があります。

デジタルトリプレットを提唱した梅田教授は、その背景をこう説明しています。デジタルツインの普及により製造現場のデータ収集・可視化は進んだものの、「現場で発生する問題の解決や改善活動に、データが十分に使いこなせていない」という声が多くの企業から寄せられていました。その根本原因は、データ活用の主体である「人の知」がシステムの外に置かれたままだった点にあります。

デジタルツインは、設備や工場などの物理対象をデジタル空間に再現し、状態監視やシミュレーションを行う技術です。設備保全や品質改善など、製造現場の高度化において大きな役割を果たしています。

一方、デジタルトリプレットはこの2層構造に「知的活動世界(人)」を加えた3層構造へと発展させたものです。データを収集・分析するだけでなく、そのデータから価値を引き出す「人の知」をシステムの中に組み込む点が、最も本質的な違いです。

この3層構造を基盤として、まず現場の熟練者の暗黙知を形式知化し、工場内の改善を継続的に進化させます。そこで培われた現場の知恵が部門間連携へと広がり、結果としてサプライチェーン全体・ビジネス全体の最適化へとスパイラルアップしていく——デジタルトリプレットは、単なる現場改善にとどまらず、ビジネス全体を進化させる極めて強力なアプローチとなります。

なぜ製造業DXでデジタルトリプレットが重要なのか

これまで多くの製造業では、生産・設計・営業・マーケティングなど各領域を磨き込み、部門単位での専門性強化によって競争力を保ってきました。しかし近年は、市場変動の激化やサプライチェーンの複雑化により、部門単位の取り組みだけでは企業全体の競争力を維持することが難しくなっています。

製造、物流、販売、サービスなど複数のプロセスを横断した最適化が求められるようになりました。このような環境の変化を背景に、データを起点としたサプライチェーン全体の統合が重要なテーマとなっています。

部分最適では収益最大化できない時代

工場の稼働率を高めることは、製造業にとって重要な課題です。しかし、需要と連動しない生産活動は在庫リスクを高める要因になります。

例えば、需要予測が不十分なまま生産量を増やした場合、在庫の増加によって資金効率が悪化する可能性があります。逆に需要が急増した場合でも、生産計画を柔軟に変更できなければ販売機会を逃してしまいます。

サプライチェーン分断がDXを止めている

多くの企業でDXが思うように進まない理由が、データと業務の分断です。

製造、物流、販売といった部門ごとにシステムが構築されている場合、各部門が保有するデータは相互に接続されていないことが多くあります。また企業間でのデータ共有も限定的であり、サプライチェーン全体の状況を把握することが難しいケースも少なくありません。

ただし、ここで注意が必要なのは「データの分断を解消すること」を目的化してしまうリスクです。 部門間のシステム連携やデータ統合には多大な工数と投資が伴いますが、「誰が、いつ、何を判断するためにそのデータが必要なのか」というストーリーが描けていない状態で先行投資をしても、成果には結びつきにくいのが実態です。また、どこまでの精度・粒度のデータ連携を求めるかによって、必要なシステムと投資規模は大きく変わります。

重要なのは、まず暗黙知として個人に蓄積されている「人の知」を抽出し、誰がいつ何を見てどう判断しているか、データがつながらないことでボトルネックになっている情報は何かを明らかにすることです。 その上で、新たな業務プロセスのトライアルを設計してから、必要なデータ連携の範囲を決める——この順番が、DXを局所的な改善で終わらせないための鍵となります。

人の知と連動したデータ連携が競争優位を決める

今後の製造業では、データ連携のレベルが企業競争力に大きく影響すると考えられます。

需要予測の精度が高まれば、生産計画を需要に合わせて調整することが可能になります。適切な在庫水準を維持できれば、キャッシュフローの改善にもつながります。

また、サプライチェーン全体を可視化することで、経営層は状況変化を迅速に把握できます。市場環境の変化に応じて戦略を柔軟に修正できる企業ほど、競争優位を確立しやすくなるといえるでしょう。

デジタルトリプレットがもたらす具体的変化

デジタルトリプレットは、データ統合の仕組みにとどまらず、企業の意思決定プロセスにも大きな変化をもたらします。製造業にどのような効果をもたらすかを紹介します。

在庫と需給の動的最適化

在庫・需給のプランニング業務は、まさに「現代の匠の領域」ともいえる、暗黙知の塊によって成り立つ業務です。 熟練した担当者が長年の経験と感覚をもとに需給バランスを調整してきたこの領域では、基幹システムの刷新やAIの導入を試みても、既存のやり方に対してパフォーマンスが出せずに「今までのやり方を変えられない」という状況が繰り返されてきました。その根本原因は、人の判断プロセス=暗黙知がシステムの外に置かれたままだったことにあります。

デジタルトリプレットの考え方でこの課題にアプローチするとき、最も重視されるのは、熟練担当者が需給を調整する際の判断基準や思考プロセス自体をロジック化・形式知化することです。ただし、このロジックは需要動向や市場環境の変化とともに刻々とアップデートされるものであり、一度作って終わりではありません。そのため、重厚長大な基幹システムに組み込むのではなく、基幹システムと切り離した形で、アジャイルに拡張・更新できる仕組みとして構築することが重要です。「人の知」をシステムに組み込み、継続的に磨き続けることでデータ活用が実現し、過剰在庫と欠品の抑制、そして企業の資本効率・収益性の本質的な改善につながります。

生産計画の高度化と柔軟化

市場の変化が激しい環境では、生産計画の柔軟性が企業の競争力を左右します。しかし、各工場の稼働状況・物流条件・需要動向・熟練者のナレッジをすべて重厚長大な基幹システムで表現しようとすると、構築した時点ですでに陳腐化が始まっているというジレンマが生じます。環境や人のナレッジは常に変化し続けるため、一枚岩のシステムでは追いつけないのです。

デジタルトリプレットの考え方が示すのは、システムの在り方そのものを見直すことの重要性です。具体的には、データソース層、標準プロセス層(基幹システムが担う部分)、人の知をシステム化する層、という3層構造に分けて設計することが有効です。特にの層を基幹システムから切り離し、アジャイルに拡張・更新できる仕組みとして構築することで、市場変化や現場の知見の変化に柔軟に追従できるようになります。「市場変動が起きた際に熟練者がどのような判断基準で生産計画や在庫を調整しているか」という暗黙知をロジック化してシステムに組み込みつつ、そのロジックを継続的にアップデートし続けられる体制こそが、属人的なスキルへの依存から脱却し、組織全体の習熟度を平準化する鍵となります。

AI活用の実効性向上

AIによる需要予測や最適化分析は、すでに多くの企業で導入が進んでいます。ただし、データが分断された状態ではAIの効果を十分に引き出すことは困難です。

デジタルトリプレットによって統合されたデータ基盤が整備されることで、AIはより精度の高い予測や分析を行えるようになります。さらに、複数のシナリオを比較しながら意思決定を行う高度な分析も実現できます。

経営レベルでのリアルタイム可視化

現場のデータと市場データを同時に把握できるようになると、経営層の意思決定のスピードも変わります。

生産状況、在庫状況、市場動向を統合的に確認できる環境が整えば、戦略の見直しや投資判断を迅速に行えるようになります。データに基づく経営が実践できるようになる点も、デジタルトリプレットの大きな価値です。

実現に向けた実践ステップ

デジタルトリプレットの実装は、現場の「差分」をシステムに落とし込む以下の3ステップで段階的に進めることができます。

定型業務の「自動化」

判断のブレが生じない単純・反復作業はシステムで自動化します。目的は効率化そのものではなく、人が高度な「判断」や「改善」に集中できる余裕を生み出すことです。

熟練者の暗黙知の「ロジック化」

条件分岐が発生する業務において、熟練者が「どのような基準で情報を選び、判断しているか」を紐解きます。個人の頭の中にある暗黙知をプロセスとして形式知化・ロジック化し、システムに組み込みます。これがデジタルトリプレット実装の核心です。

定型化困難なノウハウの「協創領域」化

どうしても定型化できない高度な領域は、自社のコアな強み(付加価値の源泉)として定義します。無理にシステム化せず、「人と技術の協創領域」として磨き上げるか、仕組み自体を見直す判断をします。

デジタルトリプレットは非常に強力な概念ですが、それを自社の現場でどう実践するかで多くの企業が躓きます。なぜなら、『人の知』を扱う以上、IT部門だけでなく事業部門や経営層を巻き込んだ組織的なアプローチが不可欠だからです。そこでマクニカは、Siemens社のDXメソドロジーをベースにした『5P』というベストプラクティスを活用し、デジタルトリプレットの実現を支援しています。

People
(人材)
文字通り人材を示しており、アジャイルでビジネスとITを連動したプロジェクトを実行するために必要な人材像とチーム編成です。
Portfolio
(ポートフォリオ)
何のために何をやるのか(何を実現するためのアプリケーションを開発していくのか)のアイデアのリストアップと優先順位付けです。
Process
(プロセス)
プロセスはポートフォリオで検討されたアイデアが高速でリリースされ、使いながらアップデートがされていくための業務プロセスと開発プロセス、ガバナンスの仕組みです。
Platform
(プラットフォーム)
新しいサービス創出・事業部門とIT部門を連携して実行していくためのIT基盤です。
Promotion
(プロモーション)
チームのモチベーションを維持し、考え方と文化を変えていくために適切なタイミングで行う対外的・対内的な発信と啓蒙です。

5P』とは、People(必要な人材・チーム編成)、Portfolio(何から着手するかの優先順位)、Process(アイデアを高速でリリースし更新し続ける業務・開発プロセス)、Platform(事業部門とIT部門を連携させるIT基盤)、Promotion(文化変革のための対内外発信)の5つのPで構成されています。各要素は相互に依存しており、どれか一つが欠けても変革は持続しません。スモールスタートの段階から、この5要素すべてを意識した設計が重要です。

デジタルトリプレットを取り入れて製造業DXを加速

デジタルトリプレットは、ヒューマン空間・サイバー空間・フィジカル空間を統合し、製造活動と市場環境を結び付けて企業全体の最適化を目指す考え方です。データ・現場・人を三位一体で捉えることで、全社のコンセンサスを結び直し、人と組織が継続的に価値を生み出せる状態をつくる基盤として注目されています。

マクニカでは、製造業DXの構想策定からデータ基盤構築、AI活用までを含めたデータ活用支援を行っています。デジタルトリプレットをはじめとしたデータ戦略の実現に関心がある方は、ぜひマクニカまでご相談ください。