DXが広く浸透する一方で、「何を変革すべきか」が定まらず、技術導入にとどまってしまう企業は少なくありません。その背景には、DXの本質とデジタル化の違いが十分に理解されず、思考が“過去の延長線上”に縛られているという課題があります。
今回は、青山学院大学 学部長・教授の松永エリック・匡史氏による講演から、DXを捉え直すための視点をお届けします。
※本記事は、2025年11月27日(木)にマクニカが開催した「Executive Knowledge Sharing Forum~ときめきと共感がひらくDXのその先~」での講演を基に作成したものです。【後編】には、株式会社荏原製作所の助松裕一氏と株式会社マクニカ デジタルインダストリー事業部 エバンジェリストの阿部幸太との対談を掲載しています。
【講演者情報】
青山学院大学 学部長・教授
松永エリック・匡史氏
なぜ私がDXを語るのか:音楽とテクノロジーにまたがるキャリア
今日お話ししたいのは、DXをどう進めるかというテクニカルな話だけではありません。そもそもDXとは何なのか、その本質を理解することによって根本の部分について、皆さん自身がビジネスにトランスフォーメーションを起こそうとしていただくことが目的です。
そして、DXを単なるデジタル化ではなく、「イノベーション」として捉え直し、さまざまな発想をしていくうえでのレンズの一つとして「アーティスト思考」をご紹介したいと思っています。
なぜ私がこのテーマを語っているのか、まず少しだけ背景をお話しします。私の原点は音楽です。中学3年でプロデビューし、演歌からアイドルまで幅広いアーティストを支えてきました。国立音楽大学、バークリー音楽大学で作曲とジャズを学び、プロファッショナルとして第一線で活動してきました。
一方で、米国での音楽活動に限界を感じ、違った視点でプロフェッショナルとして仕事をしたいという思いから青山学院大学に入り直し、システムエンジニアとしてのキャリアを歩み始めました。その後、AT&Tで世界をまたがる大規模なネットワークの設計に携わり、グローバルという舞台で仕事をする最高の機会に恵まれました。
その後、経営に関わりたいとの思いから、MBAを学び、アクセンチュア、野村総研、IBM、デロイトでビジネスコンサルタントとしてのキャリアを重ねました。エンターテインメント×テクノロジー領域の立ち上げや、最先端のメディアの立ち上げから様々なプロジェクトを経験し、最先端の「顧客中心」の変革も現場で見てきました。DXの流れの中でPwCではデジタル部門の立ちあげを任じられ、最終的にグループ全体のデジタル統括の役員を務めました。
音楽とテクノロジーの両方を軸に歩んできた経験が、私のDX観の大きな土台になっています。
DXとは何か:デジタルではなく“未来”を起点に考える
本題に入ります。DXが分かりにくくなるのは、これまでの「デジタイゼーション」とDXをごちゃ混ぜにしてしまっているからです。
私がキャリアを始めた頃はホストコンピューター全盛期でした。給与計算のような大量処理を紙からコンピューターに置き換えること自体が、大きなトランスフォーメーションでした。次に、CDの登場に象徴されるアナログからデジタルのデジタイゼーションが起き、PDAや初期のパソコンが登場し、データがデジタルになることにみんながワクワクしました。その後、ERPが登場し、業務プロセスをシステムに合わせるためにコンサルティング会社が規模を拡大し、業務システムのIT化が一気に進みました。これはIT導入により、業務やプロセスが改善されました。
しかしDXは、これらとは全く異なる概念です。DXとは一言で言えば「Transformation with Digital」、つまり未来から逆算した価値創造の再定義です。
デジタルを入れることが目的ではなく、「ありたい未来」を描き、その未来を実現するためにデジタルを手段として使う。もちろん、デジタルを使うことが目的ではないので、使わないという選択肢もDXです。「デジタル前提で考え始めた瞬間にトランスフォーメーションを主体としたDXではなくなる」と私は常に言っています。
Sansanが象徴的です。名刺管理といえばOCR、と誰もが思い込みますが、ユーザーが求めているのは「正確にデータ化されること」。当時、精度の高くなかったOCRというテクノロジーを使わず、顧客の視点から彼らはあえて手入力を選びました。これはテクノロジーに引っ張られないDXの好例です。
DX担当者の役割は、「自社の顧客にどんなトランスフォーメーションを起こすべきか」を徹底的に考えることです。
アーティスト思考: “未来を描き、逆算する” 発想
DXを推進するうえで軸になるのが、私が提唱している「アーティスト思考」です。アーティストは自由にありたい未来を描き、その未来から逆算して今を設計します。ドラえもんが良い例です。「こんなこといいな、できたらいいな」という未来が先にあり、それを叶えるひみつ道具が後から出てくる。
DXもまったく同じ構造です。10年後どうなっていたいか、5年後どうなっているべきかというビックピクチャーを描く。そしてそれを実現するために、1年後どうなっているべきか、今週、今日、何をするか確実にアクションを起こすことによって確実に未来を実現していくのです。未来からのバックキャストが重要なのです。アクション(実現への行動)これをせずに未来を描くと、ただの「きれいな絵」で終わってしまいます。
では、実際にDXをどう立ち上げるのか。ポイントは非常にシンプルで、「究極なまでにクライアントの立場になり、クライアントが求める世界観ベースに、ありたい未来を描くこと」です。
また、イノベーションで最も邪魔なのが、「前例はありますか?」という言葉です。前例があれば、それはイノベーションではありません。DX部門は「前例がないことをやる部署」だと自信を持って臨んでいただきたいと思います。
共感から始まるDX:現場を見て、暗黙知を形式知に
次に「共感」の話です。デザイン思考の最初のステップは、共感(Empathy)です。ところが、若いコンサルタントが30年経験のある現場の人に、偉そうに「あなたの業界の課題はこれです」と語ってしまう。これでは共感は生まれません。
共感とは、相手の目線に自分を合わせること。時には相手より少し下の目線に立つことです。
DX推進者は「現場を忘れない」ことが何より重要です。現場が心を開いてくれなければ、本当の課題は見えてこない。現場の暗黙知を集め、それを言語化し、組織の形式知へと変換していくことがDXの土台になります。
芸術の世界でも同じです。ピカソのキュビズムは天才の思いつきではなく、セザンヌの「自然界の形は幾何学で表現できる」という言語化された理論が根底にあります。
暗黙知を言語化し、形式知として共有する。わたしたちも未来を描くときには、ビジョンを言語化・形式知化することが大切です。また、若手とベテランを混成し、共通の目線で未来を議論するチームづくりが非常に重要です。
デジタルトリプレットとナラティブ:リアルとデジタルを物語でつなぐ
最後に「デジタルトリプレット」の話をします。これはリアル(フィジカル)、デジタル、そして「人間の心・文脈」という三つの世界をどう結ぶかという考え方です。
今の若い世代は、リアルとデジタルを区別していません。恋愛もコミュニケーションも日常も、リアルと同じ重さでネットの中に存在しています。だから、リアルとデジタルを明確に分けて考えるのは、もはや大人の思い込みです。
人が何に“ときめく”のか。それは「ナラティブ(物語)」です。製品そのものより、その背景にあるストーリーに心が動く。DXはテクノロジーとテクノロジーをつなぐ話ではなく、物語と物語をつなぐ話です。
しかし多くの企業は「デジタルスレッド」を持っていません。ユーザーが朝起きてから寝るまでの“感情の流れ”の中で、自社のサービスがどう位置づくのかが設計されていない。だから感動が生まれない。
DXとは、リアルとデジタルの世界をつなぐ物語を設計し、人の心を動かす体験をつくることです。
そして、若者がワクワクしているものに向き合うことも重要です。性能の低いデジカメ、チェキ、レコード。彼らにとっては“初めての体験”です。大人が若者の感性を理解し、逆に大人が昔ワクワクしたものを共有すると、そこに世代を超えた共感が生まれます。
DXはまさに、感性をつなぐスレッド(つながり)でもあるのです。
製造業への期待とこれからの共創
私は「インテントAI」という未来予測AIにも取り組んでいますが、これは製造業を根本から変える可能性を持っています。だからこそ、製造業はDXの最前線に立つべきです。
昔、PDAやVAIOにワクワクしたあの感覚を、もう一度リアルなものづくりから感じさせてほしい。新しいiPhoneが出ても「まぁ、そろそろ買い替えかな」で終わる時代を変えられるのは、製造業の皆さんです。
そしてDXは、競合同士ですら共創できる世界です。私は電通・博報堂・アクセンチュア・PwCのデジタルトップを集め、「お客様の物語をどう紡ぐか」を議論しました。DXは競争ではなく、共創によって前へ進みます。
未来を描き、共感を基盤に、物語をつくり、リアルとデジタルをつなぎ、人々の心を動かす。DXとはそのためのアプローチです。
今日をきっかけに皆さんとスレッド(つながり)が生まれたら、とてもうれしく思います。今後ともよろしくお願いいたします。