昨今の医療分野で問題視されている症状に、「褥瘡(じょくそう)」というものがあります。これは主にヒトの皮膚に悪影響を及ぼすことから、早期の治療が肝要とされています。そしてマクニカでは以前から、その研究に注力している長野県看護大学様と共同で、AIを活用したプロジェクトを推進しています。

 今回は同プロジェクトの一員である、マクニカの榊原 麗(さかきばら うらら)とMary Grace Malanaが、その取り組みについて語ってくれました。

 なお本記事は【前編】と【後編】に分かれており、それぞれ下記の内容が中心となっています。

【前編】:20226月~20233月までに取り組んだ「褥瘡早期発見AIモデルの開発(PoC1)」
【後編】:アメリカで開催されたNPIAP 2024 Annual Conference(米国褥瘡諮問委員会 学会:以下、NPIAP2024 ※)での発表と、20234月~9月までに取り組んだ「褥瘡早期発見 機械学習モデルの開発(PoC2)」

※:NPIAPは、「National Pressure Injury Advisory Panel」の略称。褥瘡の予防と管理に特化した、さまざまな医療分野のエキスパートが集うアメリカの非営利組織。最新のガイドラインやベストプラクティスの推進を通じて、その知識を医療従事者・政府・一般大衆および医療機関に広めることを目的に活動している。

NPIAP2024とPoC2の内容について

――最初に、NPIAP2024の概要を教えてください。

榊原:褥瘡に関わるパネルディスカッション・研究者によるオーラル発表・ポスター展示・企業展示などが行われる、NPIAPがアメリカで年に一度開催している学会です。今回は2日間の開催で、私たちはポスターを使って来場者に研究内容を説明するポスター展示をしました。企業展示には、褥瘡の発生を防ぐベッドや摩擦を減らすドレッシング材など、実用・販売されている製品がありました。いわゆるメディカル系イベントの一部で褥瘡が扱われているのではなく、それだけに特化していることが特徴です。

 

――特化した催しが行われるということは、やはり褥瘡はそれだけ問題視されているのでしょうか。

榊原:そう思います。NPIAPの案内には、「本学会は米国看護師協会と米国栄養士登録委員会に認定されており、学会参加することで看護資格と登録栄養士資格更新に必要な単位を取得できるようになっております。」と記載されています。これはNPIAPが、褥瘡の分野でしっかりと認められている証拠だと思います。私が直接お話したのはアメリカの方が多かったですが、カナダやヨーロッパの方なども含め、会場にはおそらく数百人の方が訪れていました。

 

――マクニカがNPIAP2024に参加した目的は何だったのですか?

榊原:医療分野でもAIを使ったソリューションの開発・提供は可能であり、マクニカもそうした取り組みに携わっていることを発信するためです。
 2023年の9月には日本の褥瘡学会でもポスター発表をしたのですが、そのときは申請タイミングの関係などで発表できなかった研究内容もありました。NPIAP2024には褥瘡の分野で権威のある方が多く参加されるとうかがっていたので、この場で研究内容の発表を行うことには大きな意味があると考えていました。

――PoC1は、【前編】でうかがった内容ですね。今回はPoC2について教えてください。

榊原PoC1が褥瘡早期発見のためのAIモデル開発だったのに対し、PoC2では深層学習モデルを使わずに、機械学習モデルの開発を行いました。ただ、ラットの皮膚画像データを使用した点は共通しています。

 褥瘡は初期状態から発赤がみられるため、褥瘡と、褥瘡に発展しない発赤の違いを初期状態で見極めるのが難しいことが特徴です。しかし、お医者さんが患者さんの皮膚を診るとき、そのタイミングで偶然赤くなっているだけ、つまり放置しても問題がないのか、実際に褥瘡が進行しているかの見分けがつきにくいステージがあります。それを見極めるために、患者さんの皮膚をガラス板や指で押して離し、色味の変化を目視で確認する「CRTTCapillary Refilling Time Test)」という方法が医療現場では採られています。

 その色味の変化をUVカメラで撮影し、画像処理(特徴量抽出)によって褥瘡の特徴をモデルに学習させ、そこから症状の傾向予測を行ったのがPoC2です。

長野県看護大学様の論文により、皮膚の状態によって血流速度に違いがあることが分かりました。PoC2は、この仮説をもとに研究が進められました。

出典:Chen, L.; Takashi, E.; Hou, P.; Kamijo, A.; Miura, D.; Fan, J.Elucidation of Ischemic Mechanisms of Early Pressure Injury during Post-Decompression and Detecting Methods. Diagnostics 2022, 12, 2198.

 PoC1では0.5時間・6時間・12時間といったように、時間別に撮影した皮膚画像データを使ってAIモデルに学習をさせていたのですが、実はそこに大きな課題感がありました。たとえば、実際に褥瘡が進行する皮膚があるとしても、0.5時間の時点では見た目は綺麗な状態です。しかし、それでもAIには褥瘡があると学習させなければなりません。するとAIは「綺麗な皮膚でも、褥瘡がある?」と混乱してしまうわけです。

 結果、私たちは「0.5時間のモデルには0.5時間時点の画像しか与えない」など、AIモデルの学習を時間別に行い、かつ各モデルを別物として扱わざるを得ませんでした。さらに言えば、実際の医療現場では若干の赤みを帯びている皮膚を見ても、「この皮膚は褥瘡の症状が○時間経過している」とはまず分かりません。こうした観点から、時間に縛られているモデルには運用面に問題があるという結論に至りました。

 一方で、それぞれの時間帯で皮膚を押して離した際の変遷がどの時点でも同じであれば、時間を基準にする必要はなくなります。PoC2には、そうした仮説をもってスタートした背景もあります。

ラボリサーチ部門でベストアワードを受賞!

――NPIAP2024で発表してみた感触はいかがでしたか。

榊原:今回はPoC1PoC2の両方をポスター発表したのですが、実は私たちはPoC1の方でラボリサーチ部門のベストアワードを受賞しました。NPIAP2024の主催陣は各出展者の発表内容を事前に把握しているので、私たちが受賞したことは開催前に告げられており、会期中はポスター発表開始前から受賞の目印となる青いリボンをポスターの横に貼っていました。その影響で多くの方が見に来てくださり、隣でご紹介していたPoC2のお話を聞いてくださる方も多く引き込めました。

▲彼女たちが今回受賞した「ラボリサーチ部門(Bench/Laboratory Research)」には、ほかに10件前後の方が出展されていたそうです。

 他の方の発表内容も色々と拝見したのですが、画像解析やAIモデルを使った発表内容はほとんどなく、差別化を図れたことが受賞の決め手だったのかなと思います。実際の運用面に関してはまだ考えきれていない部分もあるのですが、「AIでこんなことできるんだ!」と非常に興味をもってくださる方が多く、「今後はデバイスやAIモデルを介入させる診断が進むとすごくいいね」など、ポジティブな感想をお寄せいただきました。

Malana:榊原さんの言うとおり、私も最先端のAI技術を活用していることに興味をもってくださる方が多かった印象です。圧迫傷害予防の分野ではまだそうした点が広がりきっていないことも背景にあると思います。

――お二人の部署ではこうした学会での発表が初めてとうかがっているので、本当にすごいですね。

新型コロナウイルス感染症との関連も

――他の方の発表に対しては、どういった印象を受けましたか?

榊原:私は、気付いたことが2点あります。1つ目は、褥瘡の分野も新型コロナウイルス感染症の影響を大きく受けていることです。たとえば、長いあいだ硬めの医療マスクを着けたり、酸素チューブを鼻に通したりすることでも褥瘡はできるそうです。褥瘡は寝たきりの方の問題と言われることが多いのですが、医療デバイスを装着する患者さんや医療関係者に向けた配慮も必要だなと感じました。

 2つ目は、看護・介護の現場においては記録が非常に重要ということです。アメリカではベッドに寝ている方の体位を一定時間ごとに変え、その記録を残すことが強く推奨されていると聞きました。もし記録が残っておらず、患者さんに褥瘡ができて手術や治療が必要になった場合、ご家族から訴訟されるケースもあるようです。ただ、看護・介護に関わる方の人手不足はアメリカでも問題になっているようなので、記録する時間の捻出も決して簡単ではないと思います。こうした実態を知って、驚愕しましたね。

 

――記録に関しては、それこそデジタルで解決できるとよいですね。

榊原:はい。今回と主旨は異なりますが「AIを使ったDXでワンストップのサポートを私たちが提供できればいいな」といったことは想像しました。

Malana:医療デバイスによる褥瘡の発生という視点は、非常に興味深いと私も感じました。看護・介護の現場で活躍されている方をはじめ、私たちのようなエンジニアや医療デバイスの製造関係者といったステークホルダー同士が協力することが、褥瘡の問題を業界全体で解決するために不可欠だと思います。

 

――今回得た知見で今後の業務に活かしたいことや、目標はありますか。

榊原:今回開発したAIモデルや機械学習モデルの精度を向上させ、診療補助ソリューションとして市場に参入できるような取り組みを続けたいと思います。

Malana:私は、新しい画像処理の方法に挑戦してみたいです。これまではLEDカメラやUVカメラで撮影した画像を使っていたのですが、NPIAP2024ではサーモグラフィーのように温度で肌の状態を確認できる製品・不可視光線を使った画像収集・さまざまなセンサーを使った情報の集め方などを見かけました。そうした技術を有効に使えれば、より精緻に開発が進められると思います。

 また、褥瘡は肌の色によっても見え方が異なるという気付きがありました。たとえば、暗めの肌の場合は発赤が見えにくい・褥瘡の予兆が分かりづらいといったことも考えられます。そうした場合にUVカメラを使うのか、サーモグラフィーを使うのかといったアプローチを考えるのは、「多くの方に使っていただく」という普遍的なことを考えるうえで非常に重要なポイントだと言えます。

まとめ

 今回は【前編】【後編】の2回にわたり、褥瘡の特徴や長野県看護大学様とマクニカによるプロジェクトの内容をご紹介しました。

 本記事を読んでくださった方のなかには、初めて褥瘡という言葉を知った方もいらっしゃるかと思います。医療分野で注目が集まるこの症状のことや、AIがもつ可能性を少しでもご紹介できていれば幸いです。

 また、医療も含めたさまざまな分野でAIを活用した研究開発を行っているマクニカは、長野県看護大学様ご協力のもと、NPIAP2024でのベストアワード受賞という輝かしい成果を収めることができました。今後は技術がより発展し、褥瘡に苦しむ方が1人でも少なくなることを心から願ってやみません。私たちはこれからも、そうした社会課題解決に役立つさまざまなソリューションやサービスを提供してまいります。

【前編】はこちら